ゼペットじいさんへ なわしろより
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哲学カフェぽこ堂で、詐欺の被害者になってしまったがために、詐欺の加担者に身を堕とした人に会った。典型的な話だ。
私は、対話を妨害して支配を実施する詐欺師への怒りに耐えられなかった。だから、同じ詐欺からの回復を辿る先人として、適当な助言をしてやれなかった。
私の対応は一般的なマニュアルに留まり、彼らにとって価値がなかった。修行不足である。
彼らにこれが伝わることを願う。
奴隷がいる。オマエが辱めている人々である。奴隷がいる。オマエである。
ピノッキオが操り人形だとして、彼を操るゼペットじいさんもまた操られている。テッペンに奴隷主がいる。ソイツを憎悪と言う。
オマエは人を支配する。ソイツに殺されないためにである。オマエは人を軽んじる。ソイツが一番エラいからである。オマエは苦しむ。ソイツに支配されているからである。
オマエはいつかソイツから解放される。簡単な話だ。「ない」と言えばソイツはない。苦しみもない。問題は、ソイツがどこにいるのか、誰なのかが分からないことだ。
オマエは気づかなかったかもしれないが、オマエはずっと昔にソイツを探す旅に出た。今も旅の途中だ。私はオマエよりひと足先に旅に出たから知っている。
長い旅だが、ぜんぜん難しくない。ソイツの世界など大地に比べれば猫の額だ。
人に聞けば宿を教えてもらえる。日を浴びて飯を食えばもう少し歩ける。その繰り返しだ。
ソイツを見つけて「ない」と宣言できたら、酒くらいはくれてやる。それまで死ぬなよ。